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歴史

1.全国体育学習研究会の原点とその基本的な性格

(1) 全国体育学習研究会の原点
   -児童中心の立場から,社会の転換に対応する新しい学習指導法-

 昭和20年の敗戦を境にして,日本の社会はそれまでの天皇制国家体制から民主的な社会体制へと急激に大きく転換することになり,敗戦直後の日本の教育は占領行政と諸外国の新しい教育理論の急激な流入によって激しい混乱におかれていた。特に,社会秩序の転換にかかわって,教師の権威に基づく画一的な学習指導法が否定されたことは,新しい児童中心の学習指導法のくふうと研究を余儀なくさせることになった。
 したがって,経験主義的な学習理論の導入とかかわって,諸外国のグループ学習理論が積極的に紹介され,地域や学校の自主研究が活発に行われて,グループ学習は指導法研究の一つのブームにさえなった。しかしながら,社会状況の変化とともに,昭和25年ごろから他教科におけるグループ学習はしだいに退潮に向かっていた。
 敗戦による社会の転換は,体育にとっては目標の「からだづくり」から「全人教育」への転換であり,内容の「徒手体操中心」から「スポーツの重視」への転換であり,そして「教師中心」から「児童中心」への指導法の転換であった。
 他教科における新しい指導法の活発な研究にもかかわらず,体育は,外国に適切なモデルがなかったことも関連して,この転換に対応する新しい指導法を研究し,くふうすることができなかった。
 この状況の中で,竹之下休蔵は「全人教育」,「スポーツ重視」,「児童中心」の新しい体育授業を作り出すために,自主的な学校と教師の協力を得て体育の学習指導法の研究を始めたのである。
 昭和26年から28年までの3年間にわたって,神奈川県の大田小学校の協力を得て,経験的な学習,学習意欲の重視,自発性と自主性の尊重,全体としての子どもの育成,などの新しい児童中心の,学習理論を体育の授業において具体化する方法が研究された。それは特定の作業仮説が授業をリードする研究であるよりは新しい体育授業のイメージとその方法を求める試行錯誤的な研究であった。しかしながら,この試行錯誤的な研究から,日常の授業を尊重し,子どもと教師の全生活までに目が届く研究態度が生まれ,結局,授業の現実そのものに子どもも教師も満足し,新しい学習理論にかなう学習指導の方法が作り出されたのである。それが,学級を少人数の学習集団に分け,子どもたちの協力的で自主的な学習を生み出そうとする体育のグループ学習の具体的な方法であった。
 昭和29年から31年までの3年間,竹之下休蔵は松田岩男,宇土正彦,松延博,松本千代栄等の体育研究者の協力を得て,大田小学校に加えて川崎市の桜木小学校と臨港中学校,静岡県の韮山小・中学校を研究校として体育のグループ学習の研究をさらに発展させた。学校ぐるみの実践や小・中学校の連続などの問題を解決することが当面の問題であった。
 この間,公開授業による研究成果の発表は,子どもたちの自主的でいきいきとした学習活動によって全国の多くの教師の関心と共感を呼び,各地で体育のグループ学習の自主研究がしだいに活発に行われるようになった。
 昭和32年3月,体育のグループ学習の自主研究を進めている人々が竹之下休蔵の呼びかけのもとに神奈川県真鶴に集い,それぞれの研究成果と授業の問題をもち寄り,夜を徹して話し合った。特別な講師も指導者もなく,ただ「新しい体育学習を求める心」によって1つにまとまった人々が,数人のグループに分かれて,文字通り,寝食を忘れて,それぞれの経験と研究資料を手がかりにして,体育の授業について討議したのである。
 この集いこそ,全国体育学習研究会の母体であった。それは格別な組織をもたず,正式な名称もない集いであった。しかしながら,それは,児童中心の立場から社会の転換に対応する新しい学習指導法を作り出そうとする体育の理想を求める教育的良心によって結集する人々の集いであり,参加者のすべてが,自発的・自主的な学習者であり,グループワークそれ自身が「師」であるところの研究会であった。そこには,古い体育に対して新しい体育を創造しようとする革新のエネルギーが充満していた。
 その後,竹之下休蔵を中心とするこの集いは,それまでの成果をまとめた『体育の学習指導-研究の手びき』が出版される時期まで,25年の歴史を経過してきた。この間,この集いに参加する仲間の大幅な増加や,参加者の世代の変化等に対応するために,ある程度の組織化を余儀なくされた。すなわち,昭和34年の第4回長野(上林)大会では,共通の研究課題を整理し,運営上の問題を検討する常任委員会が設けられた。昭和36年の第6回京都大会では,この集いの正式な名称を「全国体育学習研究会」とし,全国大会を「全国体育学習研究協議会」とすることが決定された。そして,昭和52年の第22回和歌山大会では明確な会則が定められ,運営委員会,研究委員会,広報委員会,全国大会実行委員会等の役割の組織化が進められたのである。
 以上のように,全体研は組織化の道を歩み,研究課題も社会変化に対応して変化しているが,全体研のモデルは教師中心の命令と号令による一斉指導に対するアンチテーゼとして,子どもたちの自主的で協力的な学習指導法をグループ学習として作り出そうとし,竹之下休蔵の呼びかけのもとに自発的に結集した第1回真鶴大会にある。そしてこの意味から,全体研の原点は,「児童中心の立場に立って,社会の転換に対応する体育の学習指導法」を求め,作り出そうとする革新のエネルギーにあるといえよう。

(2) 全国体育学習研究会の基本的な性格
 
-だれもができる児童中心の学習指導法を求めて自発的に参加する自由な革新的民間教育研究会-

 

 全体研は,その歴史的な経過とその原点から見て,十分に尊重されるべきいくつかの基本的な性格をもっている。
 その第1は,子どもたちの生き生きとした学習活動を最も重視する児童中心の立場から,子どもたちの自発的で自主的な学習活動を最大限に生かすくふうを考え,また,日常的な体育授業を重視して,だれもができる学習指導法を作り出そうとする点に研究の基本的な方向がある。
 第2には,日常の授業の現実的な問題を解決するための授業研究を中心にするために,その研究活動では日常の授業の実践記録や資料を重視し,それを研究の具体的な手がかりにする。
 したがって会員は,それぞれの実践における研究資料と問題とをもって自発的・自主的に研究に参加しなければならない。
 第3には,こうした会員を主体とするこの会は,特別な講師や指導者を設けることなく,基本的に平等な関係にあるという点である。それは,参加者のすべてが学習者であり,グループワークそのものが「師」であるとする。
 第4には,現実の授業の問題を社会生活全体の中に位置づけ,子どもを取り巻く社会の変化と結びつけて考えようとする点である。したがって,この会は社会の変化と体育の授業を常に関連づけ,社会変化に対応するよりよい授業を求めて体育の現実を変革しようとする革新的な性格を必然的にもっている。
 第5の基本的な性格は,この会は児童中心の学習指導法に関心をもって自発的に参加する体育研究者と授業の実践者が作っている自由な民間教育団体である,という点である。したがって,この会は,いかなる政治的勢力や党派,あるいはイデオロギーとも無関係であり,そして教育行政からも自由である。要するに,この会の基本的性格は自由な体育の学習指導法の研究会であるということである。この自由な研究会が児童中心の学習指導法を求めて体育の現実の革新に向かうとき,多くの良心的な教師の共感を呼び,その人たちを結集する力をもつということなのである。全体研は,竹之下休蔵の呼びかけに自発的に応じたグループ学習の自主研究を進める人々の集いから生まれた。この集いは体育のグループ学習の研究を標榜したが,それは児童中心の立場から社会変化に対応する新しい学習指導法を求めて,体育の現実と闘おうとする変革のエネルギーが,グループ学習という学習形態に具体的に結集されたからである。

 上記の記述は竹之下・宇土編著の『小学校 体育の学習と指導-新しい授業の手引き』における宇土・佐伯によるものである。本会の基本的な性格は今日に至るまで変化することなく継承されているが,研究の対象が「グループ学習」という学習形態に結集されるものではなく,学校体育における体育の学習と指導全般にわたっていることが,当時の記述と異なるところである。

 

2.全国体育学習研究会の研究内容

 

 全体研は50年にわたる研究の歴史をもっている。その問,変化する社会の状況や体育をとりまく諸問題,そして多様な授業の現実的課題に対応して,実に豊富な研究内容を積み重ねてきている。この多様な研究内容をよく検討してみると,50年の歩みを貫いている一本の基本的な研究の方向があることに気がつく。それは,児童中心の原点に立って,子どもたちの生き生きとした学習活動を作り出す学習指導法を求める方向であり,社会の変化に対応しながら,体育の転換に向けて授業の現実を積極的に変革してゆこうとする方向であった。
 さらに,全体研の研究の歩みを整理してみると,(1)グループ学習を中心にして,正しい豊かな体育学習を求めて研究が進められていた時期,(2)生涯スポーツにつながる楽しい体育学習を求めて,新しい学習指導の研究を進めている時期に二分される。そして,それぞれにおいて基本的な考え方が検討され,原則的な方法論が確立されてゆく時期と,授業の計画や指導のあり方などの具体的な方法が問題にされてゆく時期とに分けられる。
 全国体育学習研究協議会(全国大会)の研究集録である『つみかさね』を資料として,簡単に研究の歩みを整理してみよう。

(1) グループ学習を中心にして,正しい豊かな体育学習を求めていた時期
① グループ学習の基本的な考え方や理論・方法の確立を目指した時期

 昭和32年の第1回真鶴大会から昭和39年の第9回佐賀大会までをこの時期とみることができる。
 敗戦に伴う社会の転換に対応して,体育は全人形成を目標にし,スポーツを内容として重視し,児童中心の授業へと転換しなければならなかった。この転換に向けて,とりわけ新しい目標-民主的な人間の形成と新しい内容-スポーツの重視に対応して,児童中心の自主的な学習活動をどのように組織するかが重要な体育の課題となり,教師中心の命令と号令による一斉指導に代わる新しい指導法が求められていた。貧困な施設・用具・多人数の学習等の教育条件の中で,だれもができる自主的な学習指導法,しかもそれは民主的な社会にふさわしい社会性の育成につながるものでなければならなかった。
 こうした状況の中で,子どもたちの協力的な相互作用を中心に自主的な学習を進めるグループ学習が注目され,体育の新しい学習指導法の研究は人間関係に焦点を当てた学習形態論に向かうことになった。こうして,竹之下休蔵の先見的な研究に導かれながら,グループ学習を手がかりにした社会の転換に対応する新しい学習指導の研究が進められたのである。
 古いものを排し,新しいものを作り出すのに抵抗と困難はつきものである。グループ学習を基盤にして体育の学習指導を転換しようとする全体研の研究もさまざまな形での抵抗と困難にぶつかった。しかしながら,それは,むしろ児童中心の学習指導法を生み出し,体育のグループ学習の理論と方法を確立しようとする人々のひたむきな力を引き出し,研究の大きなエネルギーを生み出す要因でもあった。
 こうして,社会性の育成に対してばかりでなく,技能や体力の向上にもグループ学習が有効な方法であることが確かめられ,同時にグループ学習における教師の指導性と子どもの自主性の調整が具体的な問題となった。
 「私たちの考えるグループ学習は,学習のための小さな集団を基礎に,教師の計画的指導と子どもたちの仲間意識,学習の目標と見通しをもった自主的助け合い学習によって,すべての子どもの正しい,かつ豊かな学習を生み出そうとする。このためには,教師の計画も子どもにわかりやすい単純な形で立てられることが必要である。教師の計画をそのまま子どもたちが自分の計画として使えるように,学習の計画をむしろグループの計画へ,と考えている現在の考え力は,この必要から出たものである。」(竹之下・『つみかさね』第1号)と記されているように,指導性を自主性に転換する手順として,計画の「うつし」がくふうされた。
 こうして.学習過程と学習内容に対応する具体的な「うつし」の方法が研究されることになり,「小きざみなうつし」,「うつしなおし」,「与えるうつし」と「引き出すうつし」,「計画のうつし」と「内容のうつし」などの方法がくふうされた。
 グループ学習に対する批判は,子どもたちの自主的な活動が指導のねらいにそわず,勝手な活動になる点や,学習の非能率な点に集中していたから,指導性と自主性の調整はグループ学習を具体化するための最も重要な研究問題であった。全体研はこの課題を「うつし」という方法・手順を作り出すことによって解決してきたのである。

② 体育の学習指導の一般的構造に基づいて学習過程と学習内容を明らかにしようとした時期

 昭和40年の第10回神奈川(江の島)大会から昭和48年の第18回徳島大会までの時期がこれに当たる。
 体育におけるグループ学習の一般的な考え方と方法が確立し,その形式が具体的に整うようになると,学習指導法の研究は.指導計画(案)の立て方,つまり,学習内容を明確にし,内容に対応する学習過程を具体化することに向けられた。そして.学習指導の一般的構造から学習指導計画が導かれること,学習過程は学習内容の構造を手がかりにして構成されることが明らかにされた。
 こうして全体研の研究は主として学習内容の構造を明確にし,それを分析することに向かい,運動技術,ルール,マナーが内容としておさえられた。とりわけ,運動技術は内容の特性を示すものとされて重視され,技術の構造と子どもの発達を結びつける重要な内容として,学年別技術が考えられ,研究されたのである。
 この間,グループ学習の形式が整い,学習形態として容易に行われるようになったことから,グループ学習の形式をまねてその精神をもたない「形骸化」が指摘されるようになった。そこで,協力的で自主的な助け合い学習は児童中心の原点から出てくることが確認されるとともに,グループは目的か手段かが深く検討されたのである。
 この時期には体力づくりの問題や学級経営,教科体育とクラブ活動など,体育を取り巻く諸問題にもグループ学習の立場から研究が進められた。

(2) 生涯スポーツにつながる楽しい体育学習を求めて,新しい学習指導法の研究を進めている時期
① 社会変化に対応して,体育の転換の方向を見い出し.新しい学習指導の基本的な考えを求めていた時期

 昭和49年の第19回神奈川大会から昭和53年の第23回佐賀大会までがこの時期に当たる。
 経済の高度成長が達成されるとともに,社会は仕事中心の産業社会からレジャーが重要な意味をもつ,脱工業化社会へ移行するようになった。こうした社会変化の中で生活における運動の意味は大きく変化し,健康で豊かな人生にとって,自発的・自主的な運動参加がすべての人の重要な問題となったのである。人間と運動の関係は体育の基礎であるから,その変化は当然,体育の転換,新しい学習指導の考え方と方法を要求する。全体研はグループ学習を尊重しながら体育の転換の方向と新しい学習指導の基本的な考え方を模索したのである。
 体育とは何か,社会変化,レジャー,仕事・遊び,そして学習,など,学習指導の基礎になり,それを規制するさまざまな事柄について根本的な検討がなされた。そして,体育の転換の方向は生涯スポーツに向けて,自発的・自主的な運動参加を育てること,運動は教育の手段に止まるのではなく,手段の性格をもちながら教育の目的・内容でなければならないことが明確にされたのである。
 運動を目的・内容としてとらえ,自発的・自主的な活動を導くために,学習指導を考える手がかりとしてプレイ論が導入され,その視点から自発性・自主性を導く運動のとらえ方が研究されるようになった。
 こうして,体育の転換と新しい学習指導の基本的な考え方は,運動のとらえ方を効果・構造的な特性から行う者の欲求・必要充足の機能的な特性に転換し,こうした内容論の転換から子どもの自発的・自主的な学習を導くことであることが明らかにされてきたのである。
 グループ学習が子どもたちの協力的な相互作用を尊重することによって自主的学習を生み出す方法であったのに対して,新しい体育は運動の機能的特性を生かすことによって自発的な学習を生み出そうとするのである。運動の取り上げ方を基本的に転換する必要性が確認され,新しい体育の方向が明確になるにしたがって,具体的な授業作りの方法が問題にされるようになった。こうして,全体研の研究は社会変化に対応する新しい学習指導法を運動のとらえ方の転換-内容論を中心に求めるようになった。

② 楽しい体育の学習指導の方法を求めて,授業計画の立て方や,その実施をめくる諸問題の研究を
  進めている時期

 この時期は,昭和54年の第24回東京大会から昭和62年の第32回富山大会までがおおよそ該当するであろう。
 全体研は第24回東京大会において,そのスローガンを「正しく豊かな体育学習」から「楽しい体育」に転換した。全体研は,すべての子どもが生き生きと運動の楽しさを求めて,運動を楽しく学習する授業を,社会変化に対応する新しい体育のイメージとして取り上げたのである。このときから,全体研の研究内容は.主として,「楽しい体育」を実現するための学習指導法の具体化に向かい,特に,運動の機能的特性を生かした授業計画の立て方とその実施をめぐる諸問題が中心になることになった。
 運動に内在する楽しさを明らかにし,そのような楽しさを求めて子どもが自発的・自主的に運動の学習を進める授業をくふうすることが研究問題であり,特性の考え方・運動の取り上げ方,子どものとらえ方,運動と子どもの結びつけ方を具体的にどのようにすればよいかが問題となっていった。
 この問題は,具体的には授業計画の立て方の問題である。運動の楽しさを求める授業を作り出すためには,運動自身がもっている楽しさを明らかにしなければならない。したがって,授業計画のはじめの段階で,単元となる運動が学習する子どもたちにとってどんな楽しさをもっているかが問題となる。全体研は,運動をその欲求充足の機能的特性を中心にしてとらえ,さらに学習する子どもの個人差に対応して,それぞれの子どもの力に応じた運動の楽しさを明らかにすることによって解決の手がかりを得ようとする。単元となる運動を学習する子どもの立場からとらえ,その楽しさを明確にし,それを生かす授業を計画しようとするのである。
 学習のねらいは学習活動を自発的・自主的に方向づけるものであるから,運動それ自身の楽しさがこれに当たる。学習のねらい=運動の楽しさに到達するためには楽しさを内在している運動それ自身を内容として学習しなければならない。学習過程は内容の段階的な積み上げであるが,楽しい体育は運動の学習それ自身が楽しいものでなければならないから,段階的な内容それ自身も楽しさを内在していなければならない。
 こうして,全体研は運動をその機能的特性からとらえ,子どもから見た運動の特性→学習のねらい・内容→学習過程という楽しい体育の授業計画の立て方の一般的な原則を作り上げてきたのである。
 全体研はこの授業計画の一般的な原則を各種目についてより具体的なものとするために,機能的特性のタイプに対応した学習過程のモデルを開拓してきた。数多くの授業実践に基づく資料から,一般的なモデルの内容がしだいに明確になっていった。
 「楽しい体育の授業づくりを求めて」という大会の全体テーマは25回大会から32回まで引き継がれている。当初は,「楽しい体育」の授業計画の考え方が提起され,特に単元レベルの授業計画について,特性論に基づく,ねらい,内容,学習過程の具体化や指導案の形式にまで踏み込んだ提案がなされている。その後,特性のとらえ方をめぐって,一般的な特性と子どもから見た特性のとらえ方をめぐる活発な議論がなされていた。また,25回大会には中学・高校期における選択制授業に関する問題提起が初めてなされている。その後は,楽しい体育の授業づくりをめぐって,a.学習内容の選定ならびに一般的特性と学習過程,b.運動の特性に応じた学習形態,c.楽しい体育における指導活動(その後楽しい体育における評価に発展),d.選択制授業の具体化,さらには,小・中・高校のカリキュラムの検討などのプロジェクトが構成され研究が進められていく。それぞれのプロジェクトは毎年実践に基づく問題提起や修正等を行っており,いろいろな面でわが国の体育授業のモデルを提案し,常に理論的なリーダーシップを発揮してきたと評価できよう。
 運動の特性論の検討の成果については,体操,スポーツ,ダンスで集約される運動の特性を子どもの発達段階を考えながら,具体的に整理してきている。また,学習過程に関しては,「今もっている力で楽しむ→工夫した力で楽しむ」単元を通した基本的な学習過程の提案,さらには,器械運動における「スパイラル方式の学習過程」なども特筆できる問題提起であった。学習形態についても,本会が創設期から開発してきたグループ学習の考え方を運動の特性に応じて柔軟に対応する試みもかなり広範囲に受け入れられていた。選択制授業に関しても学校段階を考慮しての発展段階や類型化,具体的な授業の方法論(選択制における学習過程)などは,本会が開発した理論が学習指導要領にも影響を与えていた。なお,選択制の検討を通じて派生的に課題化されたカリキュラム問題はその後今日まで,本会の重要課題として存続・発展してきている。

③ 全体研の組織論とカリキュラム論の検討
 :楽しい体育の単元学習の授業づくりの一般化・定着をもとにした,全体研の原点への
  回帰と組織(運動)のあり方と研究のあり方を総括し,体育の社会的役割を再確認した方法論の見直しの時期

 昭和63年の第33回佐賀大会から平成3年の第36回神奈川大会までがこの時期に当たる。
 全体研が開発してきた授業方法論が文部省の学習指導要領や関連指導資料に多く採用されることもあって,全体研の組織的・理論的なアイデンティティに対する疑問が生じてきた。また,体育の社会的な役割を再確認し,体育の目標の構造的な把握の必要性やそれに基づくカリキュラム論の論議がなされた。ここでの原点回帰の主張がその後今日に至るまでの「楽しい体育論の新たな可能性を探究する」基礎を提供したことになる。

④ 楽しい体育の新たな認識論の展開
 -「かかわり」を重視する楽しい体育の考え方・進め方-が提起された時期

 平成4年の第37回和歌山大会から平成7年の40回佐賀大会までがこの時期に当たる。
 研究委員会では,楽しい体育における子ども観,学習観,学校観の再考を促し,生涯学習社会における楽しい体育の機能的特性論を徹底的に子どもからの「かかわり」あるいは「生成」の論理からとらえ直そうとした。
 この期の研究委員会の問題提起は,ある意味で楽しい体育論の理論的パラダイムの転換を図ろうとする野心的な内容を含んでいた。ハッチンズの生涯学習社会論をベースにして,これを楽しい体育の理論に生かしていくためには,これまでの機能的特性論のとらえ方に見え隠れしてきた,規範的,固定的な傾向とそれが志向する学習の意味世界が競争・達成・克服を通じた超越的性格に偏っていることを認識論的な問題として提起したからである。また,それは楽しい体育の運動論のあり方,すなわち好むと好まざるとにかかわらず学習指導要領体制に組み入れられた形になった楽しい体育の一般化や方法のあり方にも一石を投ずる結果となった。したがって,その批判の対象は,学習論だけではなく,学校知のあり方とこれからの生活のあり方とのズレに向けられ,楽しい体育がめざす生涯スポーツ社会の新たな理論的枠組みとして,生活≒学習(学習が生活に限りなく近づく)社会をベースとし,これをめざす生活内容論体育を主張することになった。
 この期の社会は,まさにバブル崩壊後の転換期であり,経済的混乱は高度経済成長以後の脱工業化社会における政治・社会・文化のあり方に対する理念的課題に止まらない,「現実」的課題を突きつけるものとなり,人びとの生活のあり様に構造的転換を迫るものであった。言うまでもなくこのような影響は,教育・学校に対する信頼の揺らぎとともにこれまでの価値観に対する痛烈な不信感とオールタナティブな方向性を模索させるように導くことになった。
 しかしながら,理論的認識に及ぶ問題提起が具体的な授業の姿をどのように変えていくのかとなると時間のかかる問題である。また,従来の機能的特性論に対する批判がその理論的性格に起因する認識論的問題なのか,先に述べたようないわゆる「楽しい体育」行政の影響下における一般化や方法のレベルにおける組織的,運動論的問題であるのかは未だに判然としないところがある。さらに,学校知やそれに基づく学習論への批判は,認識論的には規範から解釈へ,定着から生成へ,実体から関係へという,ある意味でわかりやすい枠組みを提示することが可能であるが,実際の体育授業を取り巻く学校・先生・子どもたちがそのような変化の中でどのようなダイナミックな状況におかれ,どのような悩みや課題,緊張関係におかれているのか,等々のはざまをリアルに問題化するところまでには届かない限界もある。いわば「解釈」「生成」「関係」を担う主体像がフリーハンドで描けてしまうところに,新たな現実問題が横たわっているということなのであろう。そして何より,楽しい体育は学校における教科カリキュラムとして成立しているが,その前提が生活カリキュラムに限りなくパラダイムシフトする場合の学習とは何かが,学校体育の教科存在論とともに語られなければならない。
 いずれにしても,この期の問題提起は結果的に1996年の東京大会で,研究委員会が自ら実行委員会を組織して授業提案を先導し,理論の実践化を図ろうとしたところで次の問題提起に引き継がれることになった。したがって,全体研の研究の歩みとしては稀有なことであるが,96年の東京大会における研究委員会の問題提起は,これまでの研究委員会のそれに対する批判的検討を通じた新たな理論的アイデンティティを模索することが中心となり,実際の授業提案はこれとは別にこれまでの研究委員会が担当するという二本立ての研究になったのである。

⑤ 現代の教育課題と体育の学習指導
 -学校論・学習論・体育論の現在と楽しい体育の豊かな可能性-を検討した時期

 平成8年の第41回東京大会から11年の44回沖縄大会までがこの時期に当たる。
 当時の研究委員会(1996~99年)は,楽しい体育の新たな理論的アイデンティティの問題状況を整理するとともに,現代の教育課題と楽しい体育との関係を学習論,学校論,体育論の観点から追求し,楽しい体育の豊かな可能性を切り拓くビジョンと道筋を描こうとした。それは,全体研内部の理論的混乱をその歴史的経緯と運動論的経緯から整理し,対外的には大きく揺れ動く現代教育の実状分析とその課題の追求を通じて楽しい体育の現代化の基礎を築こうとする試みであった。
 理論的なパラダイムチェンジを大胆に図ろうとした前研究委員会の問題提起に対して,その意義はそれなりに引き受けつつも,この期の研究委員会は,そこで引き起こされざるを得なかった楽しい体育の理論的アイデンティティの混乱に対して全体研を貫くプラグマティズムの原点に立ち返って整理しようと試みた。それは,教科カリキュラムとしての楽しい体育の学習に対する存在論的プラグマティズムであり,現代社会の混迷を教育課題として引き受けざるをえない学校や先生,子どもに対して楽しい体育がどうあるべきなのかを再考することであった。その危機的状況は,悲観的な学校解体論を導くような状況的学習論への期待のみによって解決されるものではなく,硬直化した制度論に従来どおり楽観的に依拠する規範的,共同的な学習への固執のみによって解決されるものでもない。
 楽しい体育がその内部において後者の傾向を強めていったとすれば,その原因を探りつつ,その代替として一気に前者に偏るのではない方向性を,どのような教育の現代的課題と切り結んでプラグマテックに構想していくのかが問題となったのである。
 したがって,「現代の教育課題と体育の学習指導」というテーマは一貫しており,その中で学校,学習,体育の現代的課題がプロジェクト研究によって追求されていくことになった。同時に,教科としての体育の存在意義は,楽しい体育を通してスポーツの文化的享受能力が開発されていくことによって担われていくことが明らかにされた。それは,これまで議論されてきた子どもの側から運動への「かかわり」それ自体を重視する共同同時学習論と,運動の特性論を中心とした機能的な内容とのかかわりを重視する機能的特性論との相乗的な「かかわり」によって柔軟に切り拓かれていく可能性をもつものと考えられた。すなわち,現代の教育課題に対する楽しい体育の可能性は,「特性を求める学習が豊かなかかわりを生み,豊かなかかわりが学習を深め広げる」という文脈の中で拓かれていくことになるととらえられたのである。
 楽しい体育の授業は,子どもの自由な「かかわり」を想定しつつ,その基本的な「かかわり」の特徴を手がかりにする以上,授業の実践とその計画は常に50%の緊張関係の中で成立し,計画(理論)だけで完結する営みでないことが提起された。すなわち,楽しい体育の授業の革新(豊かな可能性)は,むしろ従来からとらえられてきたスポーツの文化的文脈から見た特性論と社会変化に伴う子どもたちの現在の状況変化を視野に入れたかかわり論とのズレによって生み出されるエネルギーによってもたらされると考えられたのである。

⑥ 楽しい体育の生かな可能性を拓く
 -カリキュラム論および授業論から見たスポーツ享受能力の開発と育成-を論議した時期

 平成12年の第46回函館・渡島大会から第50回全国大会を迎えようとしている今日までがこの時期に当たる。
 最初の2年間の研究委員会は,現代の教育課題に対する楽しい体育の可能性をスポーツ享受能力の開発と育成に焦点化し,具体的にはカリキュラム論と授業論の2つのプロジェクトに分けて問題提起を行った。また,新学習指導要領が運動領域名称「体操」を「体つくり運動」と改称し,その目玉として「体ほぐしの運動」を全校種に必修として取り上げてきたことから,これを楽しい体育の立場からどのように考えるのかをテーマとしたプロジェクトも立ち上げられた。
 この期の研究委員会は,引き継いだ当初,前研究委員会のメイン・テーマであった「現代の教育課題」を検討するためのプロジェクト・テーマ「学校論・学習論・体育論」の枠組みを継承しつつ,学校論では社会における教育課題を担う学校と楽しい体育から見た教科体育の役割の重要性をそれぞれ再確認した。その上で,特に学習論では「特性論」と「かかわり論」の融合を図る単元計画の工夫へ,また体育論では「スポーツ享受能力」を視点としたカリキュラムの検討へ,それぞれ焦点化していく方向性を示した。2年目以降は,前研究委員会の最終的なサブ・テーマとなった「楽しい体育の豊かな可能性を拓く」をメイン・テーマとして,カリキュラム論と授業論の2つのプロジェクトからこのテーマを追求すべく問題提起がなされていくこととなった。
 カリキュラム論プロジェクトでは,ミクロ/マクロの2つの検討レベルに分け,従来検討されてきた前者の年間指導計画作成レベルでの議論から後者の教科存在論レベルでのカリキュラムの検討にシフトしようとした。具体的には,テーマとの関連で楽しい体育の豊かな可能性を拓くスポーツ享受能力のあり方に焦点を当て,これをカリキュラムレベルから3つの学習内容-「実践」「認識」「生活化」-に要素化し,「実践」を中核とした「認識」と「生活化」への深まりと広がりという観点からこれらの状況を段階的に記述しようとした。しかし,これらの記述だけでは日々の授業実践とのつながりが意識されにくい側面もあることから,ミクロな年間指導計画,さらには授業論との関連をも視野に入れた具体的な枠組みを提示することによってカリキュラムを検討することが,授業実践へどのようにつながるのかの道筋を示そうとした。
 一方,授業論プロジェクトでは,基本的には発しい体育の授業批判の中心である「活動はあるが学習がない」という論点をめぐって,種々検討が加えられている。ここでは,楽しい体育の「学習」観が再検討され,先生や参観者にとって誤解を受けやすい状況が楽しい体育の実践50%のあり方や機能的特性論とのかかわりにおける<ねらい-めあて>の持ち方,求め方といった点にあるのではないかとの問題提起がなされた。また,後者の機能的特性とのかかわりでいえば,特に低学年の運動「学習」において従来の機能的特性論のとらえ方が十全に楽しい体育の学習へ導くことを可能にするのか,あるいはかつての経験単元という要素を導入することが必要なのか,もし必要だとすればそれはどの程度なのか,といった問題提起がなされている。
 他方,この期の研究委員会の後半2年問で検討された第3のプロジェクトである「体ほぐしの運動」検討プロジェクトは,関西地区を中心とした主に現場教員を中心としたメンバーであったこともあり,学習論レベルにおける通常の「体ほぐし」批判から転じて,多くの子どもたちが少なくとも授業で見せる喜々とした反応に注目した。従来の機能的特性のとらえ方が子どもから見た意識的・観念的な基準に基づいていると考えれば,このような子どもたちの反応は,学習方法の問題は別にしても,一人称である「ひとり(私)」や二人称である「あいだ(あなた)」と運動の世界との直接的な「かかわり」に対する喜びの表現そのものではないかと考えられた。これを敷衍化していけば,従来の機能的特性論の基礎的,発生的な段階として,いわば「発生的特性」論とも言うべき特性論が考慮されるはずであり,このことは特に低学年(運動経験の少ない子どもたち)の運動における楽しい体育の機能的特性論を考える上で,従来の機能的特性論のとらえ方とは明確に異なる概念でとらえる必要があるのではないかとの問題提起がなされたのであった。
 以上,この期の研究委員会の動向を概観してみると,前研究委員会からの問題提起をカリキュラム論と授業論の2つのプロジェクトで引き受け,発展させようとしてきたことが理解できよう。確かに,プロジェクト各論における内部的な議論はそれぞれに進展しているように思われる。しかし,その検討内容には両者の関連性に関する異同が不明確であることや,楽しい体育を取り巻く対外的状況=社会的,教育的状況に向けた還元性と同時に,対内的状況=現実の授業実践に向けた具体的な還元性という点についても,思うようなインパクトや深まりが与えられていないように思われる。その根底には,青木委員長時代から始まり佐伯委員長時代によっていったんは論点が整理されたかに見えた,いわゆる「特性論」と「かかわり論」との関係がこの間の各全国大会における提案授業においてあまり論点が整理されずに提案され,またそのズレが,かつて佐伯委員長が提起したような楽しい体育の豊かな可能性を拓く革新的エネルギーを生み出すように,方向づけられてこなかったことが考えられよう。いわば,この間隙を縫うように,第3のプロジェクトである「体ほぐしの運動」検討プロジェクトから「体ほぐしの運動」を批判的に発展させる形で,低学年の運動を視野に入れた「発生的特性」という新たな特性論にかかわるコンセプトが問題提起されたというようにいえるかもしれない。
 いずれにしても,授業論レベルでは未だにこの問題が未解決のままに残されていることは確かなことであろう。しかし,先の「発生的特性」論の新たな提唱の根拠である子どもの意識的・観念的基準の重要性からいえば,従来の特性論においても一般的特性に対して「子どもから見た」特性を重視しているのであり,これとの関連における授業展開の相違が論証されなければならないだろう。また,この問題とは別に,対外的な楽しい体育に対する異常とも思われるバッシングとそれに抵抗・対決するための認識論的,運動論的なレベルでの立て直し,およびその戦略が五十周年記念長野大会に向けた2年間で検討されなければならなかったのである。
 そして,平成16年度から今日まで,「楽しい体育の豊かな可能性を拓く」をテーマにしてカリキュラムの視点から楽しい体育の学習を考えることに焦点を当てて研究が進められている。
 おおよそバブル期終焉後から今日までの研究委員会の歩みを振り返ってみると,脱工業化社会に要請されると予測された「楽しい体育」の単元レベルにおける授業づくりをふまえつつ,脱工業化社会の本格化に向かう成熟社会の現在における社会的混乱やそれに伴う教育課題の現実に直面して,楽しい体育がこの課題とどのように向き合うべきか,またそれをどのように解決するビジョンをもち,その可能性に拓かれているのかを再び検討する歴史であったといえるであろう。いわば,具体的な授業づくりから再びマクロなレベルでの議論を中心とする教育の現代的課題に応じた「楽しい体育の現代化」が試行錯誤されたといえるかもしれない。
 しかし,その出発点は,指導要領レベルでの「楽しい体育」というフレーズの取り上げという運動論的なレベルでの課題を背景にしつつ,外部から,というよりはむしろ研究委員会内部から,楽しい体育の授業づくりにおける機能的特性論をめぐる認識論的なレベルでの問題提起という形で,特に「硬直化」「規範化」「保守化」という認識のもとに示されていた。その後,このようなラディカルな指摘がもたらす内外への影響を整理しつつ,あくまで具体的な現代の教育課題の現実と切り結んで,しかも楽しい体育がそれでもなお,そのような課題を発展的に切り拓いていく教科としての豊かな可能性をもつか,否か,を学校論・体育論・学習論の各レベルで問題提起したのであったし,これをさらに具体化すべくカリキュラム論と授業論に分けてその可能性を追及したといえるだろう。
 ところが,前述したように,内部的には具体的な授業づくりの上で,いわゆる「かかわり論」と従来の「特性論」との関係が十分に整理されているとは思われないし,また外部的には楽しい体育に対する誤解や偏見が払拭されているわけでもない。
 したがって,今日,このような「楽しい体育」をめぐる内外の状況を整理する必要に再び迫られるとともに,当初から「楽しい体育」におけるカリキュラムの視点とは何かを本格的に追求するための準備をすることとなった。なぜなら,これまでの楽しい体育ではあくまで従来の単元論の延長線上においてカリキュラムの必要性や内容が論じられたことはあっても,ナショナルカリキュラム・レベルでの学習指導要領それ自体の揺らぎの中で,対外的,対社会的なレベルでその内容の特徴や性格,あるいは必要性や可能性といった議論が具体的に展開されたことがなかったからである。また,内部的にもその全体像や考え方が十分に整理されて示されたことはなく,会員間にもその必要性を十分に認識するような社会的雰囲気があまりなかったように思われた。
 そこで第49回佐賀大会では,前研究委員会と研究テーマを同じくしながら,「カリキュラムの視点から楽しい体育の学習を考える」というサブ・テーマを掲げ,以下のような観点から問題提起を行った。

 <総括的問題提起>   

●「豊かな可能性」への視点    

 1 アフター(ポスト)・ポスト工業化社会と楽しい体育    

 2 楽しい体育の評価:理論と実践(認識論と運動論)    

 3 子ども論と楽しい体育論-発育発達への視点-   

●なぜ,「カリキュラムの視点」なのか    

 1 「カリキュラムの視点」とは    

 2 プロジェクトとの関連   

●「豊かな可能性」はどこに向けて拓かれていくべきか    

 1 近未来の生活とスポーツ    

 2 ライフスタイル論へ  

<プロジェクト>   

●カリキュラム論プロジェクト    

 カリキュラムの構成原理を検討する   

●授業構成論プロジェクト    

 「楽しい体育」のもつ授業構成とその課題   

●子ども/先生論プロジェクト    

 子ども/先生の現状とカリキュラムの視点から「楽しい体育」を考える

 上記のような観点から,楽しい体育のカリキュラムに関する本格的な議論は,まだその緒についたばかりであるが,少なくともカリキュラムの構成原理における内容論(スコープ論),系列論(シークエンス論)の特徴が浮かび上がりつつある。それは,従来の運動手段論に基づく要素主義的,<基礎→応用>主義的な,単純なリニア型カリキュラムにはならないであろう。
 第50回記念大会では,斬新な楽しい体育のカリキュラムに関する議論とその構成原理が問題提起され,全体研の新たな1ページが切り拓かれていくことが望まれる。

※本稿の作成にあたっては,これまでに刊行された第3回全国大会時に刊行された『つみかさね』第1号から平成16年の第49回佐賀大会の『つみかさね』および,下記の研究書を引用・参考にした。なお,(2)の③までは八代勉が(2)の④以降は現研究委員長菊幸一が担当した。
  (1) 竹之下休蔵ほか「体育の学習指導-研究の手びき」(昭和40年,光文書院)
  (2) 竹之下休蔵ほか「体育科学習指導の研究」(昭和47年,光文書院)
  (3) 竹之下休蔵・宇土正彦編著「小学校 体育の学習指導-新しい授業の手引き」
     (昭和57年 光文書院)

(ふだん着の体育を求めて 全国体育学習研究会50周年記念誌「全国体育学習研究会の活動」より引用)

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