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​今持っている力で楽しむ

 

 これは,子どもたちはどんな運動種目であっても,プレーする何らかの能力や技能をすでにもっていて,この能力や技能をその運動種目で楽しめるように,あるいは今もっている能力や技能を発揮してその種目を楽しめるように,学習の初めから配慮しようという考え方である。また,このことが実現できればその種目が好きになり,好きこそものの上手なれ(好きなればこそ,飽きずに努力するから,ついにその道の上手になる。広辞苑)の言い伝えのように次第に能力や技能も向上していくので,学習過程の全体が今もっている能力や技能を(で)楽しむの連続になる。楽しい体育の学習過程については,今もっている力で楽しむ~工夫した力で楽しむ,と表現されているが,本来は今もっている力を楽しむ,の連続なのである。したがって,「工夫した力で楽しむ」は,学習によってより高まった段階の今もっている能力や技能で楽しむと言い換えることもできる。楽しい体育では,その運動種目の特性をめざして技能や作戦,あるいはマナー,ルール,チームワークなどをめぐる力を向上させるところにねらいの1つをおいているので,学習によって高まった段階の今もっている能力や技能を,工夫した力で楽しむ,のように表現しているのである。

 このコンセプトは産業社会における体育,つまり運動手段論としての体育から脱工業社会における体育,つまり運動目的・内容論(運動内容論ともいう)への体育の転換に関連して,学習指導の方法の転換を支えた重要な考え方である。脱工業社会は,仕事や産業だけでなくレジャーや遊びも重視する社会であるといわれるが,体育の学習内容であるスポーツやダンスなどの運動はこの時代のレジャーの内容であり,遊びそのものである。したがって体育学習の目的になりえるし,またそうであれば学習内容そのものである,という考え方である。加えて,産業社会は画一的なものを大量に生産する社会で,教育も国民の力を一定のレベルにそろえることが強調された。しかし脱工業社会になると個性的なものを多様に生産する方向に変わる。こうした変化も,すべての子どもの今もっている力を学習指導において大切にし生かすという考え方を支えている。
 学習の目的であり内容でもあるこの運動を体育でどう取り上げるかについては,すでに紹介されているようにeducation for leisure とeducation as leisureの2つの考え方に分かれる。前者は,将来のレジャーのために子どもたちを準備するという考え方,後者は,レジャーとしての教育と訳されることが多いが,運動はレジャーの内容として行われるのであるから,授業においてもその活動が教育であり学習でありながら,できるかぎり遊びの要素,自由性や自己目的性,創意工夫などを排除することなく,子どもにとってはレジャーそのものであり本気で遊んでいると感じられるような授業をめざす,そうした考え方である。

 能力や技能をレジャーとの結びつきを配慮して体育でどう扱うかは,上の議論と深く結びついている。将来のために子どもを準備する教育では,何よりも能力や技能を一定の水準まで向上させることが重視される。そこでは,今もっている力はその運動を楽しめる水準にはないと位置づけられ,否定的に扱われる。今の力ではゲームをやってもしょうがない,まず基礎的な技術をしっかり身につけることが大切だ,となる。あるアメリカの体育学者は,これをperfection of performanceと表現した。一方,レジャーとしての教育の立場になると,子どもの活動は教育であり学習であるとともにレジャーであり遊びとしてもとらえられる必要があるから,今もっている能力や技能を楽しむこと,あるいは今もっている能力や技能で運動を楽しむことがまず重視されなくてはならないことになる。この考え方を同じアメリカの体育学者は,enjoyment of performanceという言葉で表現した。そして技能や能力を楽しみつつ,そのうえで能力や技能の向上を配慮していくことを提唱した。かくして,運動の特性にふれてその運動の楽しさを味わいながら運動の内容を学習し,能力や技能,そして意欲や関心を向上させていこうと考えていた楽しい体育は,このenjoyment of performanceを,今もっている力で楽しむと表現して学習指導の方法を導く重要なコンセプトにしたのである。この考え方は,運動の機能的特性を学習のねらいと学習の道筋に強く生かした学習指導計画を導くことになるが,この点については別の機会に述べてみたい。


(永島惇正)【全体研ニュースNo.96(2005-9) 楽しい体育のキーワード:第5回より引用】

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